鈴ヶ森刑場跡・題目供養塔
八百屋お七、丸橋忠弥、平井権八・・・歌舞伎・講談の舞台となった江戸の処刑場
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大森海岸駅
鈴ヶ森刑場は小塚原(荒川区)とならぶ江戸の処刑場で、慶安4年(1651)に開設されました。鈴ヶ森の名は大井村の隣の不入斗村(大田区)にあった鈴森八幡宮(現磐井神社)に由来するものです。
東海道に面しており元禄8年(1695)の検地によると、間口40間(約74m)、奥行8間(約16.2m)の規模がありました。現在は文久2年(1862)に開かれた日蓮宗大経寺の境内にあります。処刑に使用したといわれる台石や首洗いの井戸などが残されているほか、近代以降の様々な供養塔が建てられています。
最初の処刑者は、慶安4年の由井正雪の乱に加わった丸橋忠弥だといわれ、他にも平井(白井)権八、天一坊、八百屋お七など、歌舞伎や講談でおなじみの人物がこの地で最期を迎えました。歌舞伎『浮世柄比翼稲妻(鈴ヶ森)』で有名な題目供養塔は、高さ3m超の石塔にひげ文字で南無妙法蓮華経と書かれ、裏面には元禄11年(1698)の年号とこの供養塔を建立した法春比丘尼、谷口氏の名が刻まれています。